研究内容紹介

意識の質(クオリア)と脳活動を「構造」によってつなぐ

本研究室は「意識」(主観的な体験)の数学的な理論を構築することを大きな目標としています。従来の神経科学では、外界の刺激SS(例えばリンゴという視覚刺激)に対して、どのような脳活動RRが生じるかという変換則を研究してきました。この変換則をR=f(S)R=f(S)と書くと、関数ffを明らかにすることが、従来の神経科学が主にやってきた研究であると言えます。一方、意識の理論が明らかにすべきなのは、神経活動RRとそれによって生じる意識CCとの間の変換則gg、数式で書くとすればC=g(R)C=g(R)という関係式です。

しかしながら、ここで重大な問題になるのは、意識Cをどう定量化したら良いのかということです。我々が物を見た時、音を聞いた時に感じる主観的な体験の質は、他人に伝えることができない、言語化できない、定量化できないものと考えられてきました。しかしながら、発想を転換して、ある意識の質をそれ単体で特徴付けようとするのではなく、他の意識の質との関係性から特徴付けることは可能です。具体的には、「赤」は「ピンク」には似ているが、「青」には似ていないといった関係性、例えば類似度を定量化することは可能です。「赤」の意識の質と、他の可能な限り多くの意識の質との関係性を全て定量化することができれば、これは「赤」の質そのものを定量化することに限りなく近づいていくと考えられます。このような、様々な意識の質同士の関係性の網が織り成す構造を「クオリア構造」と呼んでいます。

本研究室では、上述の考え方に基づいてクオリア構造と脳活動とを結ぶ数学的な関係を調べようとしています(詳細は参考文献参照)。この研究は、クオリア構造を定量化するための心理物理実験と、それに対応する脳活動の計測実験を行う共同研究者と協力して行っています。

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参考文献

大泉匡史 (2022) "意識の数理的な理論はどのように実験的に検証されるべきか?" 生体の科学,73(1), 1-5
大泉匡史 (2023) "あなたの「赤」と私の「赤」は同じ?――自分のクオリアと他人のクオリアをつなぐ数理" 岩波書店 科学6月号
Genji Kawakita*, Ariel Zeleznikow-Johnston*, Ken Takeda*, Naotsugu Tsuchiya**, Masafumi Oizumi** (2025) "Is my "red" your "red"?: Evaluating structural correspondences between color similarity judgments using unsupervised alignment." iScience, 28, 3, 112029.

脳と脳の直接的な情報伝達に向けた数理技術の開発と検証

脳内の神経活動の中には、私たちの知覚、思考、感情など様々な情報が埋め込まれています。本研究室では、脳活動データから抽出した情報を脳と脳の間で直接伝達するために必要な数理技術の開発を行っています。

脳と脳との直接的な情報伝達の実現には、単に個別の脳ごとに情報を読み取るだけでなく、異なる脳の間での情報の対応づけ、「翻訳」の技術が必要です。2つの脳活動の対応関係を取る方法としては、2つの脳活動で共通の神経多様体空間に射影して、その射影した空間で対応する活動がなるべく近くなるように「揃える」(アラインメント)という操作を行う方法があります。数学的には、AさんとBさんの対応する脳活動をそれぞれRA,RBR_A, R_B、共通の空間への射影をf,gf, gとした時、f(RA)f(R_A)g(RB)g(R_B)の距離がなるべく小さくなるようにアラインメントする行列QQを求める最適化問題(minf(RA)Qg(RB)\min |f(R_A) - Q g(R_B)|)になります。

上で説明した翻訳の方法は、異なる脳活動の間の対応関係の情報がある場合の基本的な方法ですが、あらかじめ対応関係が明らかでない状況で、2つの脳活動の間の「翻訳」を行いたいケースも存在します。この場合は、教師なしアラインメントと呼ばれる方法論が必要となります。自然言語処理の分野は、この教師なしアラインメントの技術を適用することにより、2つの異なる言語(日本語 vs 英語など)の間で、単語間の対応関係をあらかじめ与えずに、高精度の翻訳が実現できることが示されています。我々はこの方法論を脳活動同士の「翻訳」にも援用することができるのではないかと考えており、Gromov-Wasserstein最適輸送と呼ばれる手法を用いて脳活動同士の翻訳を試みています。

本研究室では、単に数理技術を開発するだけでなく、実験研究者との共同研究により、脳活動データの解析によって提案手法の有効性の実証も行っています。

脳と脳の直接的な情報伝達に向けた数理技術の開発と検証 image

参考文献

Genji Kawakita*, Ariel Zeleznikow-Johnston*, Ken Takeda*, Naotsugu Tsuchiya**, Masafumi Oizumi** (2025) "Is my "red" your "red"?: Evaluating structural correspondences between color similarity judgments using unsupervised alignment." iScience, 28, 3, 112029.
Ken Takeda*, Masaru Sasaki*, Kota Abe, Masafumi Oizumi (2025) "Unsupervised Alignment in Neuroscience: Introducing a Toolbox for Gromov-Wasserstein Optimal Transport" Journal of Neuroscience Methods, 419, 110443.
Soh Takahashi*, Sasaki Masaru*, Ken Takeda, Masafumi Oizumi (2026) "Investigating Fine-and Coarse-grained Structural Correspondences Between Deep Neural Networks and Human Object Image Similarity Judgments Using Unsupervised Alignment." Neural Networks, 195, 108222.
Ken Takeda*, Kota Abe*, Jun Kitazono and Masafumi Oizumi (2025) "Unsupervised alignment reveals structural commonalities and differences in neural representations of natural scenes across individuals and brain areas" iScience, 28, 5112427.

意識レベルの数理的な特徴付けと実験データによる検証

睡眠中や麻酔中にはわたしたちの意識がなくなります。しかしながら、寝ているときでも、麻酔下にあるときでもわたくしたちの脳の中では、神経細胞が活動を続けています。活動量は減りますが、外界の刺激に対して応答する能力を失ってはいません。脳活動が続いているにも関わらず、その脳活動が意識にのぼらないのはなぜでしょうか?このような簡単そうに見える質問に対する明白な答えは、現在の脳科学を持ってしても未だ得られていません。

一つの有力な仮説はわたしたちが意識を失っている時、脳の中の「内的な情報」「因果関係」が失われているという仮説です。これは統合情報理論の中で提唱された仮説で、私自身は統合情報理論を作業仮説として、その実験的検証に取り組んでいます(詳細は参考文献)。しかしながら、この仮説を実際の実験データで検証するためにはまず、「内的な情報」「因果関係」を定量化するための数学的な方法論を構築することが必要です。私の研究室では情報幾何、ネットワーク制御理論、力学系理論そして情報熱力学といった数理的手法を活用することで、神経細胞集団のダイナミクスにおける因果関係を特徴づける新しい数理的な方法論を構築することを試みています。

新しく構築した方法論は、実際の実験データ、例えば睡眠中や麻酔下の脳活動の解析を通じて検証をしています。現在は、脳活動の記録技術が著しく向上し、約1万個の神経細胞の活動を同時記録することができるようになっています(図)。こうした最新の実験データと数理手法を組み合わせて、意識・無意識の境目、あるいは意識レベルの変化に関連する脳活動の特徴付けを試みています。

意識レベルの数理的な特徴付けと実験データによる検証 image

参考文献

大泉匡史 (2014) "意識の統合情報理論" Clinical Neuroscience, 32(8), 905-912
大泉匡史, 土谷尚嗣 (2012) "温度計に意識はあるか? -- 意識レベルの定量化へ向けた理論と実践" LiSA, 19(4), 352-359
Daiki Sekizawa, Sosuke Ito, Masafumi Oizumi (2024) "Decomposing thermodynamic dissipation of linear Langevin systems via oscillatory modes and its application to neural dynamics" Physical Review X 14 (4), 041003.
Daiki Kiyooka*, Ikumi Oomoto*, Jun Kitazono, Yoshiki Saito, Midori Kobayashi, Chie Matsubara, Kenta Kobayashi, Masanori Murayama**, Masafumi Oizumi** (2026) "Single-cell resolution functional networks during sleep are segregated into spatially intermixed modules" Cell Reports, in press.
Yumi Shikauchi, Mitsuaki Takemi, Leo Tomasevic, Jun Kitazono, Hartwig R. Siebner, and Masafumi Oizumi (2025) "Quantifying state-dependent control properties of brain dynamics from perturbation responses." bioRxiv: 2025-02.